あたたかいコミュニティーの「あたたかさ」について対話して気づいたこと

あたたかいコミュニティーを作りたい。増やしたい。

そんな想いで自身でもコミュニティー運営に挑戦したり、日々活動しています。

今回は、コミュニティーメンバー3人と対話しました。

そこで気づけたこと、気付いたからこその新しい課題感が出てきたのでまとめておきます。

「自分原因論」がなさすぎる人との接し方

全部人のせい、周りのせい

という態度を強く持たれる人との接し方が難しいという話題が出てきました。

どうしたらその人が自分自身にも矢印を向けて「自分にできることは何か」を考えてもらえるのか。。。

というのが自分自身の大きな課題でした。

「自分原因論」の難しいところは、その論を伝える側自身も「その人のせい」にしているようなもの

自分原因論を伝えること自体が矛盾しています。「え、自分ができるところにフォーカスしようって、それブーメランじゃね?」って感じ。

ただ、自分自身が自分原因論を持っているのであれば自分だけ自分に矢印を向け、持ってない人は好き放題できることになる。それは人間関係として健全でないよね、と。。。

対話を繰り返して、コミュニティーの中でその人のその接し方に悩んでいる人の気持ちを少しずつ汲んでもらうことで変化を促すしかないのかなぁという結論に。

コミュニティー全体と同じ方向を見ない人への対応

上記の「自分原因論」がなさすぎてみんなが困っている場合

その人がそもそもコミュニティー全体と同じ方向を見ようとしていない場合、その人に対してもあたたかさを大事に接し続けるとみんな消耗していくパターンが多いと思いました。

そもそも、そこをみているかどうかを先に確認していく必要がありそう。。。

そして一緒の方向をそもそも見ていないのであれば、お互いが衝突しあってすり減る前にお別れできるように出口を設計しておく必要を感じました。

新たな課題「同じ方向」の認識違いありそう

コミュニティーの方向性の同じ方向をみているかどうか、もしかしたらその人からすると同じ方向性を見ている認識かもしれないな。。。と思います。

解釈は人それぞれなので、その時に運営メンバーと参加者の解釈違いだけで追い出すみたいな構図にならないような設計ができたらいいな。と。

理想は、みんなの解釈とその人の解釈のずれがあることを全体でしっかりと把握してお別れしていくという流れ。かなりのコミュニケーション量が必要そうで、実現できるのか。と疑心暗鬼になっています。。。。

理想との戦いですね。

あたたかいコミュニティーに挑戦し続ける

こんな感じで、答えにならない悩みがたくさんあるのが「あたたかいコミュニティー」の運営だと思います。

でも、ルールでガチガチで、ピラミッド構造で上層部の独断で決まっていくコミュニティーと違って、あたたかさが多様性を活かした集合知を働かせて無限の可能性を秘めていると思ってます。

あたたかいコミュニティーでみんなが自分の可能性を最大限に発揮してイキイキと活動していく姿をみてみたい!その最適化された状態が持続的に、回っていく形を作り上げたい。そんな思い出挑戦し続けます。

この記事を書いた人

まーさん